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ブレイク・ダンスの歴史:ロック・ステディー・クルーの誕生と歴史

ロック・ステディー・クルー

ロック・ステディー・クルーの誕生とブレイク・ダンスの歴史


ブレイクダンスのルーツ
ブレイク・ダンスというダンスのスタイルは、ニューヨークから生み出されたモノだが、’生み出された’というニュアンスよりも時代によって’進化してきたダンススタイル’と言った方が正しいかもしれない。

ブレイク・ダンスのルーツは、1960年代に人気のあった’The Good Foot’というダンスから始まった。
このダンススタイルは、ハーレム辺りで人気があり、1969年に歌手のジェイムズ・ブラウンが’Get On The Good Foot’という曲をリリースした。





彼は、この曲を生でパフォーマンスした際に、必ずハイエネルギーなダンスを踊った。このダンスは段々と変化を重ね、のちにブレイク・ダンスになっていった。




The Good Footは特にバトルに合うダンスである。1960年代の後半頃、ハーレムのストリートとクラブで、地元の若者がダンスでバトルしていた。

しかし、当時は、ダンスにヘッドスピンなどを取り入れるダンススタイルがなかった。The Good Footは殆どフットワークだけのダンスであった。

これらのスタイルがオールドスタイルのブレイキングになり、その後、ブロンクスのギャングはブレイク・ダンスのバトルをし始めた。

ギャングメンバーは、殴り合いや撃ち合いなど、暴力の代わりにダンスでバトルを行うようになった。

勿論、現実的に暴力が完全になくなったとは言えないが、その後、このダンスバトルのおかげで暴力的な事件が減っていったようである。

ギャングのダンスチームから、本格的にダンスを専門的とするクルーが生み出された。こういったクルーは、毎日、何時間もブレイクダンスの練習に明け暮れては、バトルしたり、新しいステップを磨いていった。彼らには、ダンスがすべてで、ダンスしかなかった。


ロック・ステディー・クルーロック・ステディー・クルー





ロック・ステディー・クルーの誕生

1970年代の後半まで、オールドスタイルブレイキングはとても人気があった。ロック・ステディー・クルーというダンスクルーは、この当時出てきた。

ロック・ステディー・クルーの最初のメンバーは、Jimmy Dと、Jojoというダンサー。その後、Crazy LegsとLenny Lenも参加した。彼らは、よくストリートとクラブでのバトルを行っていた。オールドスタイルブレイクダンスを中心にしていたが、メンバーたちは、才能溢れていた。


新しくロック・ステディー・クルーのメンバーになりたい人は、クルーメンバーにダンスバトルで勝たなければならない。そうしなければ、クルーに参加する事はできなかった。

1980年頃、DJ・ヒップホップパイオニアとして知られる、アフリカ・バンバータは、ロック・ステディー・クルーを発見し、様々なクラブオーナーや、プロモーターなどに紹介した。

そのおかげで、ロック・ステディー・クルーは、多くの人々の前でパフォーマンスすることができ、メインストリーム音楽ファンにブレイクダンスを紹介することができた。

そしてちょうどその頃、ブレイクダンスの代名詞とも言えるヘッドスピンなどのニュースタイルブレイクダンス要素を取り入れ、ダンスとして使い始めた。




ロック・ステディー・クルーのメインメンバー:Crazy Legs(クレイジー・レッグス)参加


ロック・ステディー・クルーのメンバーCrazy Legs(クレイジー・レッグス)は、当時ブロンクスではなく、マンハッタンに住んでいた。

ブレイクダンスの練習するために、わざわざブロンクスまで行っていたが、結局、交通費がかさんでしまう事から、家に近いダンスクルーに参加したくなった。

当初は、近所の違うダンスクルーに所属していたが、1981年にJimmy Dに許可をもらい、ロック・ステディー・クルーのマンハッタン支部を始めることができた。こうして、ロック・ステディー・クルーのフランチャイズシステムが始まった。

1981年に、ロック・ステディー・クルーは、Wild Style(ワイルドスタイル)というパイオニアヒップホップ映画に出演した。

そして、定期的にRoxyというナイトクラブでパフォーマンスしたり、バトルしたりするようになっていった。Roxyは、元々アイススケーティング専用リンクであったが、1982年にヒップホップ専門クラブになった。

映画の出演と、Roxyの出演のおかげで、ロック・ステディー・クルークルーはニューヨークにおいて名実ともにナンバーワンのダンスクルーになった。





1982年の冬に、彼らは、アフリカ・バンバーターと、Bow Wow Wow、Jazzy 5と共にRitzというクラブでパフォーマンスをした。ロック・ステディー・クルーは、アフリカ・バンバーターのZulu Nationというヒップホップクルーに参加した。
その後、ロック・ステディー・クルーは、ニューヨークの様々なアーティストやミュージシャンと交流を深めていった。

1983年に、ロック・ステディー・クルーは、新しいマネジャーを雇い、ヨーロッパのツアーを行った。アフリカ・バンバーターや、Fab Five Freddyなどのアーティスト達も共にロンドンとパリのツアー同行した。


このツアーは世界で初めてのヒップホップツアーであった。同年、ロック・ステディー・クルーはイギリスのエリザベス女王のためにパフォーマンスを行った。

このツアーのおかげで、Charisma Recordsというレコードレーベルと契約を結んだ。”Hey You, The Rock Steady Crew”という曲は、イギリスにおいて、大ヒットとなった。

しかし、残念な事にこのレコードレーベル潰れてしまい、ロック・ステディー・クルーのライセンス契約はVirgin Records(ヴァージンレコーズ)に売却された。

ヴァージンレコーズは、ロック・ステディー・クルーの曲を再度リリースしないことに決めた。この時、ロック・ステディー・クルーは、少しの間、活動を休止することになった。


1989年には、Crazy Legsはまたロック・ステディー・クルーの活動を再開することにした。彼らは、再びクラブでバトルとパフォーマンスを行い始めた。

現在でも、ロック・ステディー・クルーは世界中で活躍しており、ニューヨーク以外にも、ラスベガス、ロサンゼルス、オーランド、イギリス、イタリア、日本でも活躍している。

※余談・・・現在(2012年)、ロック・ステディー・クルーのCrazy Legs(クレイジー・レッグス)は、アメリカでダンス料理を行っているようだ。