サンディエゴのチカーノ・パークの歴史
チカーノ・パークというこの公園は、サンディエゴのバリオ・ロガンというエリアにある。このエリアは、歴史的にメキシコ系アメリカ人(チカーノ)とメキシコ人移民が多く住んでいるエリアである。
この公園には、アメリカで最も数多くのチカーノミューラルコレクションが描かれている。多くの彫刻や、ランドスケープアート作品が独特の雰囲気を醸し出している。
チカーノ・パークは、サンディエゴのチカーノコミュニティーにとっては、非常に重要で歴史的な場所であることからサンディエゴの「ヒストリカル・サイト・ボード」という歴史調査を専門に行っている組織に認められている。
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サンディエゴのロガン・バリオの歴史
1890年代以降、メキシコからの移民はサンディエゴの「ロガン・ハイツ」というエリアに住み着いた。
1910年から1920年までの間に、メキシコ革命と、メキシコ国内の不況のせいも手伝って、移民の人数は激増した。
1940年までに、サンディエゴのメキシコ人コミュニティーの中の15%がロガン・ハイツに住んでいた。
約20万人程の人々が住んでいたことから、アメリカの西海岸の中では二番目に大きいバリオ(ラテンエリア)を形成した。
その頃、ロガン・バリオは、海まで広がる、美しいビーチとピアーがあった。しかし、サンディエゴの海岸には、米軍関係の建物が増えたことから、ロガン・バリオのビーチが次第になくなっていった。
そして、チカーノ達の住居やビジネスは次第になくなっていった。一時的には、米海軍のエリア拡大は、チカーノコミュニティーにいい影響を与えていた。
1940年代の前半には、多くのアメリカ人が軍隊に入り、戦争に行かされたことから。国内に残っている仕事の多くがメキシコ人に宛がわれた。そうして、サンディエゴのチカーノコミュニティーは経済的にも盛んになっていった。
しかし、1960年代の前半になって、サンディエゴの建設法律が変わり、白人に所有されているジャンクヤードなどのビジネスがロガン・ハイツに入ったきた。
それに伴い、新しい高速道路がバリオのど真ん中に建設された。1969年に、「コロナド・ベイ・ブリッジ」という大きな橋が建てられた。この当時、バリオの人口は5千人にまで減少していた。
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チカーノ・パークの取得:「テークオーバー」
ロガン・バリオの住民は、都市計画などの手続きに無知だったことから、高速道路や橋の建設について抗議することもなかった。
1967年に、このエリアをきれいにするために、このコミュニティーのリーダーは、公園を作る計画を市役所に提出した。橋の鉄塔の周りに公園を作る計画だ。公園の計画には市役所から許可が与えらたが、工事がはじまることはなかった。
1970年に、公園の土地に、突如ブルドーザーが出現した。マリオ・ソリスというチカーノの大学生は、この工事の異変に気付き、工事現場の作業者に何をしているかと訪ねた。
彼は開いた口がふさがらなかった。この工事は、公園を建設する為の工事ではなく、高速道路を建設する関係で使用する駐車場を作っていたのだ。
ソリスは、すぐに近所の人達の家に行って、バリオの住民達を集めた。そして、大学のチカーノ学の学生や講師も集めて、キャンペーンを行った。同日の昼間に、住民と大学生は公園に集結し、ブルドーザーの周りをみなで囲んだ。
他の人々はサボテンなどの植物を植え始めた。そして、電灯には「アストラン」(Aztlan:メキシコの民族)の旗を掲げた。
チカーノ・パークの占領は、12日間に続いた。その間、バリオの住民と市役所サイドが話し合い、その後の7月1日に公園を作る為の資金が与えられ公園の工事が着工されたのである。
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チカーノ・パークのミューラル
アート作品を作るアイディアは、1970年のミーティングで初めて生み出されたが、当初のミューラルは1973年に描かれた。ミューラルのデザインは、カリフォルニア中のチカーノアーティストに依頼した。
その中でも一番知られているのは、チャールズ・フェリックスというアーティスト。彼は、ロサンゼルスの「エストラダ・コーツ」というバリオのミューラルも描いた。
他にも「サクラメントのチカーノ空軍」(Royal Chicano Airforce of Sacramento)というアーティストクルーにもミューラルを依頼した。1977年には、メキシコのマヤ文明の寺を形どった売店が作られた。
チカーノ・パークは、メキシコ系アメリカ人の住民にとても愛されている公園であるが、この公園にまつわる歴史の中では、様々な論争が起こった。ジャンクヤードのオーナーとの論争により、反ジャンクヤードのミューラルは落書きにより汚されている。
また、チカーノパーク内のミューラルの中には、共産主義を思わせるモティーフ(フィデル・カストロや、チェ・ゲバラなど)が入っていることから、都市部の官僚などが反対しているようである。チカーノ・パークの拡充は今でも続いている。ミューラルの修復やメンテナンスは今でも行われている。
チカーノアート関連グッツ
Alex and the Hobo: A Chicano Life and Story
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Jose Inez Taylor,James M. Taggart
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Chicano San Diego: Cultural Space and the Struggle for Justice
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Richard Griswold Del Castillo
Univ of Arizona Pr
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Across the Street: Self-Help Graphics and Chicano Art in Los Angeles
posted at 2012.5.8
Bolton T. Colburn,Margarita Nieto
Laguna Art Museum
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