マーク・モリソン(Mark Morrison)のその後
HIPHOP・R&Bのクラシックソングとして未だにカバーされ、ラジオでもオンエアされ続けているマーク・モリソンのリターン・オブ・ザ・マックという曲は、1996年にアメリカのビルボードトップ40において
ナンバー2になり、イギリスや他のヨーロッパの国では、ナンバー1になったビッグヒットソング。
そのレコードは現在、レアアイテムになってきたが
しばらく音楽活動から遠ざかっているマーク・モリソンは、現在どうしているのでしょうか?
今回は、そのマーク・モリソン(Mark Morrison)のその後をリポートしてみました。
マーク・モリソン(Mark Morrison)の歴史
多くの日本人のヒップホップファンは、マーク・モリソンがアメリカ人だと思っている人が多い?!
かもしれないが、実際、彼はイギリス人である。
彼の両親は、バルバドス(カリブ海の島国)出身である。
(バルバドス出身のアーティストといえばシンガーのリアーナが有名)。
マーク・モリソンは、1972年にドイツで生まれた。
子供の頃にイギリスのレスター市に移住し、そこで育った。
イギリス国籍を持っている。
10代の後半には単身でアメリカのマイアミに渡米し、19歳になる頃にイギリスに帰国している。
モリソンは、ずっと音楽のキャリアを目指しており、1993年にレコードデビューした。
タイトルは「We are is our Love」というレコードで
当時は、あまり人気が出なかった。この曲は自身のレコードレーベル(”Joe’Mel”)を通してリリースした。
1995年には、「クレイジー(Crazy)」という曲をリリースした。
この曲は、当時イギリス国内にて、かなり人気が出てイギリスのトップ20リストに入った。
続いてリリースされた曲(Lets Get Down)も、トップ40に入った。
1996年の春には、モリソンの代表作である「リターン・オブ・ザ・マック (Return of the mack)」をリリースした。
これが米・英でビックヒットになり、名実ともにイギリスのナンバー1 R&Bアーティストになった。
また、「リターン・オブ・ザ・マック」というデビューアルバムも大成功し、世界中で3,000,000枚のレコードをセールスした。
彼のアーティストキャリアは、大成功し、このままトップアーティストとして、走り続けるはずであった。
しかし残念ながら、彼は、様々な法律的問題を起こしていた。
事実モリソンは、何度も刑務所に出入りし、過去に何度も警察とのトラブルで罰金刑を科せられている。
現在、マーク・モリソンは、アメリカの「Death Row Records」というレーベルと契約を結んでいて
RnBや、ヒップホップの音楽を作っているものの、90年代に得た音楽のポテンシャルを無駄にしたようである・・。
マーク・モリソンの犯罪タイムライン
- 1997年 「リターン・オブ・ザ・マック」がリリースされ、ちょうどアメリカで人気が出ていた時、モリソンは銃を持って飛行機に乗ろうとした。3ヶ月の実刑。
- 1998年 「不法的に銃を持った」という犯罪で逮捕されて、裁判所に行かされたが、裁判の日の前にバルバドスに逃げた。また実刑。
- 1998年 2回免許なしで運転という犯罪で逮捕されて、1,380ポンド罰金と6ヶ月運転中止。
- 1998年 ストリートでの喧嘩で逮捕された。「コミュニティー・サービス」(犯罪者が社会奉仕するという刑)という罰を与えられた。 しかし、コミュニティー・サービスに自分にそっくりな人を使い代わりに行かせた。この犯罪が警察に知られて、また一年間実刑。牢獄でイスラム教に改宗した。
- 2002年 車強盗と誘拐という犯罪で逮捕されたが直ぐ釈放される。しかし、後に警察に賄賂を与えたというニュースで、また逮捕される。
- 2004年 彼のペンダントトップが盗まれて激しい喧嘩になり、また逮捕されて一日実刑。
- 2009年 ロンドンにて強盗で逮捕された