白人ヒップホップのパイオニア:Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)

白人ヒップホップのパイオニア:Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)

黒人主体のHIPHOPカルチャーから飛び出した白人ヒップホップのパイオニアのBeastie Boys (ビースティ・ボーイズ)

 

中流階級出身の白人3人組によるHIPHOPグループ。86年にリリースされたデビュー作品の「Licensed to III 」は、ラップ・ミュージックで過去最高の930万枚の売り上げをたたき出した。
メンバーの構成は、MCA(エムシーエー)、Mike D(マイクD)、King Ad-rock(キング・アドロック)、Mix Master Mike(ミックス・マスター・マイク)、Money Mark(マニー・マーク)だが、オリジナルメンバー以外にも、ルシャス・ジャクスンと活動をしているドラマーのKate Shellenbackも加わっていた

Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)の結成からグループとしての活動

 

結成はニューヨークの大学時代で、音楽仲間だったRick Rubinが設立したデフ・ジャムへ誘われてから
ビースティ・ボーイズは成功への道を着実に進めていった。

デビュー作品の「Licensed to III 」がリリースされた当時は、RUN DMC(ラン・DMC)が絶頂期だったこともあり
ビースティ・ボーイズもRUN DMC(ラン・DMC)の同様にヘビーなロックテイストを加えたスタイルにインスパイアされていた。
しかし、彼ら黒人達が作り出すスタイルとは一味違った、オリジナリティーを追及しパンク的なフレイバーを楽曲に織り交ぜヒットを飛ばした。

 
Beastie Boys(ビースティー・ボーイズ)
Beastie Boys(ビースティー・ボーイズ)

 

その後、デフ・ジャムとの金銭的問題から、ビースティ・ボーイズはメジャーの音楽シーンから姿を消していった。
1989年になってレーベルを移籍した後に、ようやくセカンドの「Paul‘s Boutique」をリリースし、210万枚を売り上げた。
続いて1992年にリリースしたサードアルバムの「Check Your Head」は、トータルで220万枚を売り上げ、
92年頃には、カリフォルニアに拠点を移動し、「Grand Royal(グランド・ロイヤル)」というレーベルを設立した。


Grand Royal(グランド・ロイヤル)のコンセプトは、ヒップホップの新しい形として表現し、パンクグランド・ロイヤルを基盤にルシャス・ジャクスンや、ハードコア・パンク・バンドだったDFL(Dead Fucking Last),Dj Hurricaneとも契約をしていった。

白人ヒップホップグループというと、黒人達が行うHIPHOPとは違ったアングルでファンにも見られがちだが
ビースティ・ボーイズの活動をみると、アルバム中で黒人HIPHOPラッパーとの共演を果たしたりしている。

特に、解散した3rd Bass(サード・ベース)などと交流を持ったり、ア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)の
Q-Tip(Q・ティップ)やBiz Markie(ビズ・マーキー)がアルバムに参加していることからも彼らとの交友が伺える。
また、他の活動として、アパレルブランドのXLARGEを立ち上げたり、雑誌「グランド・ロイヤル」を創刊している。
メンバーのアダム・ヤウクは仏教を学んでおり一年に一度チベット・フリーダムコンサートを主催している。
同コンサートは、二日間行われており中国のによるチベットの占領問題への関心を、一般大衆に広める活動に貢献しているとの事。
 



Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)のその後

 

また911テロの被害者支援コンサートや、イラク戦争に対するプロテストソングをリリースしている。
残念な事に、2012年の5月4日にはMCAことアダム・ヤウクが、現地時間の、故郷のニューヨークで亡くなった。享年47歳であった。

 



Beastie Boys (ビースティ・ボーイズの作品紹介

 




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