カルチャー

スケートボードカルチャー入門・スケートボードの歴史

カリフォルニア・ベニスビートのスケートパーク

スケートボードカルチャー入門・スケートボードの歴史

 
スケートボードカルチャーの発祥の歴史  
スケートボードというストリートスポーツのカルチャーは、発祥から数十年経った今もスタイルやテクニック、ファッションに至るまで年々と進化している。
スケートボードという愛称で親しまれ日本に輸入された、この人気ナンバーワンのストリートスポーツの発祥は
1940年代から1950年代にアメリカはカリフォルニア州で生まれた。
 
1950年代の、カリフォルニアの若者の間では、サーフィンがブームであった。
しかし、サーフィンは海でやることから、波が無いとき、サーフィンを楽しむ事が出来ない。
カリフォルニアのサーファーは、波のない日にもサーフィンを楽しみたいと思ったことから、板に小さい車輪をくっ付けて遊び出した。
こうして最初のスケートボードが生まれた。

 
スケートボードの最初の発明者は誰なのか知られておらず、ある特定の1人が発明者ではないのかもしれないが
1950年代のカリフォルニアサーフコミュニティーから出現したと考えられている。

当初のスケートボードは木の板で作られ、木のスクーターを基にして作られたが、1959年までには
正確に設計された「Roller Derby Skateboard」というバージョンが作られ、サーフショップで購入することが出来るようになった。
 
 

1960年代に始まったスケートボードブームと安全の問題

 
スケートボードは、元々マイナーなストリートスポーツで、サーファーの二次的なスポーツであったが、しばらくすると人気ストリートスポーツとして盛んになってきた。
1960年代の前半には、50,000,000台のスケートボードが販売され、ローカルなスケートボードの大会が開かれた。

しかし、急激なスケートボードのブームのせいで、スケートボードを製作している会社が安全の検証をしないまま、耐久性の弱いスケートボードを販売していた。
1965年頃までに、怪我や死亡事故がなどが増え、スケートボードのブームは終焉をむかえた。

 
 

スケートボードの技術の進歩とスケートボードのカルチャーとしてのブーム再来

 
1960年代以来、スケートボードのブームが終わったが、ハードコアなスケートボードファンはその後もスケートボードをやり続けた。
しかし、スケートボードの技術はまだ未成熟で、多くの怪我や事故の恐れがあった。
1972年に、Frank Nasworthy(フランク・ナスワージー)という人物は、ウレタン製の車輪を発明し、もっと強いスケートボードを作れるようになった。
スケートボードの走りの性能がスムーズになり、ウレタン製の車輪が道をグリップできるようになり、以前より安全にスケートを楽しめるようになった。
そして、様々な実験的なオーリーやトリックが可能になった。

 
 

スケートボードの大会とスケートパークの時代

 
1975年に、カリフォルニア州のDel Marという街でスケートボードのスラロームとフリースタイルの大会が行われた。
Zephyr Crew(ゼフィール・クルー)というスケートボード団体は素晴らしいフリースタイルトリックやジャンプをショーケースで披露した。
1976年に、フロリダでは世界で最初のスケートパークが作られた。
スケートパークが建てられる前は、スラロームとフリースタイルの中心のスケートテクニックが多かったが、スケートパークのブームも手伝って
バーティカル系のスケートボードが流行った。また、スケートボードのデザインも変化していき、ボードはやや長くなり、通常のスケートボードが9インチ以上になった。

バーティカル系スケートパークが流行した後、スケートボードのアートカルチャーも進化していった。
様々なジャンプやトリックが可能になったことにより、スケートをプレイ中にもボードの裏のデザインが見られるようになってきた。
1970年代の後半まで、大抵のスケートボードの裏のデザインには、イラストが描いてあった。
パンクとニューウェーブの音楽がスケーターに人気だった。

 
 

スケボーのベーシックテクニックの「ollie」(オーリー)誕生の話

 
1978年に、Alan Gelfandというスケーターは「ollie」(オーリー)というトリックテクニックを生み出した。
1970年の後半には、スケートーパークだけではなく、プールスケーティングが人気になった。

カリフォルニア地方独特の温暖な気候、乾燥した空気という特徴により、プライベートプールの水がなくなり、水が空になったプールがいいスケートエリアになった。
しかし、ここでも怪我が絶えなかったことから、プールスケーティングは禁止された。
また、1980年代の前半には、スケートパークの保険料も上がり続け多くのスケートパークが閉鎖された。
しかし、その後もハードコアなスケーター達はスケートボードをやり続け、Tony Hawks(トミーホーク)などの有名なスケーターが現れた。
スケートボードの大会は、その後も続いたが、ファンが少なく賞金も少なかった。

 
 

スケートボードのテクニックの種類紹介

 
・フリースタイル(Freestyle)とフラットランド(Flatland)
ボードに逆立ちする、ボードを横に倒して乗るなどのテクニックがフラットランド

・ストリート(Street)とパーク(Park)
街中にある斜面、縁石、手すりを技に利用する事から発展したテクニック、これらと同様のデザインを復元したたスケートパークも作られた。

・バーチカル(Vertical)とバート(Vert)
大型のハーフパイプ(バーチカルランプ)でジャンプするテクニック

・スラローム(Slalom)
並べたパイロンを潜り抜けながら進んでいくテクニック。
 
 

4回目のスケートボードブーム到来

 
1990年代の前半に、不況のせいもあり、スケートボード業界がスランプに入った。
しかし、1995年にエクストリームスポーツ(ExtremeSports)のテレビ番組でスケートボードが紹介されてから、またスケートボードのブームが始まった。
そして、Vans、Etniesなどのスニーカーメーカーが次々にスケートボード用のスニーカーを販売し始めたことにより、スケートボードとストリートファッションのカルチャーが見事にミックスされた。そうしてストリートカルチャーの一種になっていった。

その後、スケートパークの安全とスケートボードの技術が向上したことにより、初めてスケートボードは始めてメインストリーム層に定着していった。

 
 

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