アート

アンディ・ウォーホルのアート発信基地:The Factory (ザ・ファクトリー)

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The Factory (ザ・ファクトリー):Andy Warhol(アンディ・ウォーホル)の数々の名作アート作品を生み出した伝説のスタジオ

 
ポップアート界のレジェンドのアンディ・ウォーホルの作品は全て、ニューヨークのにある伝説のアートスタジオ、The Factory (ザ・ファクトリー):で生み出された。

このスタジオは、ただのアートスタジオの役割だけにとどまらず、ニューヨーク中のクリエイティブな人々が集まるサロン的な役割を持った場所だったことも手伝って、様々な業界の最先端のアイディアが交換された場所になった。

次々と生み出される作品、アートを作るテクニックもどんどん発展していった。

アンディー・ウォーホルの最初のスタジオはミッドタウン・マンハッタンにあり
当時の家賃は一年間100ドルとかなり破格の値段だった。(現在そのビルはもうなくなっている)

アンディ・ウォーホルのアートスタジオ;The Factory (ザ・ファクトリー)の全貌


アート活動を活発に行っていたウォーホルは、幾度となくスタジオを引っ越した。
彼の引越先の新しいスタジオは、いつも「The Factory」(Factory=工場)と呼ばれている。

ウォーホルは、ポップアート作品を多く作る為に、シルクスクリーンという印刷テクニックを駆使した。
The Factory (ザ・ファクトリー)では大勢の助手を雇い、まるで工場の組み立てラインのような制作手法をとっていった。

言うなれば”アート工場”のような雰囲気が他漂っていた。
ウォーホルの助手達は、「Warhol Superstars」と呼ばれるようになり、メンバーは奇抜な人選をしていて変り種が集まっている。
例えば、様々なパフォーマーや、ミュージシャン、ニューハーフなどの人を集めていた。
The Factory (ザ・ファクトリー)は、資本主義の世界と同様に、アートを大量生産するベースとなっていた。

 
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ウォーホルのアートスタジオ(The Factory ザ・ファクトリー)としての機能


最初のFactoryは、「Silver Factory」と呼ばれた。スタジオを全てを銀色のアルミホイルで飾ったり、壊れた鏡を掛けたり、ディスコボールを掛けてスタジオ内を装飾した。
このスタジオのコンセプトは、当時のアメリカの価値観とウォーホル本人の想像を表現したようだ。

1960年代に活躍していたミュージシャンはウォーホルのスタジオに集まり、パーティーを開催した。
ローリング・ストーンズのメンバーや、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジム・モリソンやボブ・ディランなどのミュージシャンがウォーホルのスタジオで集った。

また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「The Velvet Underground & Nico」というアルバムと、ローリング・ストーンズの「Sticky Fingers」というアルバムのカバーは、アンディ・ウォーホルによってデザインされている。
他にも、コンテンポラリーアーティストやライターなども「The Factory」に集った。
またサルバドール・ダリや、トルーマン・カポーティなどの有名人も遊びに来たとのこと。

アンディ・ウォーホルは、The Factoryで多くの動画を撮影した。自分の身の回りにいる人達を使い、多くのショートムービーを作った。しかし、ドラッグやSEXなどのイメージをテーマに使った映像が多かった。

また様々なタブーを表現したことなどもあり
彼の動画はアンダーグラウンドでしか見ることができず、一般の映画館で上映が禁止された。


「The Factory」は、当時のコンテンポラリーアート界の中心地としての存在になったことから、現在でもメディアや映画のテーマとして取り上げられている。以前にも紹介したBasquiat (バスキア)という映画はThe Factoryでのライフスタイルを中心に作られている。