アート

ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画の「Basquiat」 (バスキア)

Basquiat (1996)

1996年にニューヨークで活躍したジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画の「Basquiat」(バスキア)の紹介

 
Basquiat (バスキア)とは、1996年に封切られたジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画である。
1970年代から1980年代に活躍していたJean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)という
コンテンポラリーアーティストのライフストーリーを基にして作られた。

 

Basquiat (1996)Basquiat (1996)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ジャン=ミシェル・バスキアのライフストーリー

 
Jean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)は
1960年にニューヨークのブルックリンで生まれた。
父親はハイチ出身で、母親はプエルトリコ系アメリカ人であった。

彼は、幼少時から多才な子供で11歳の頃までに
英語、フランス語、スペイン語を話せるようになり、アートの才能も開花させていた。

家庭環境は複雑であり、両親が離婚してから
彼と姉妹たちは父親と一緒に住むようになった。

 
一時的にプエルトリコに移り住んだが1976年には、またニューヨークに戻ってきた。
父親との関係もうまくいっておらず、15歳の頃に家出した
しかし、一週間もしないうちに警察によって保護され家に戻された。

 
 

アーティストとしてのバスキアのキャリア

 
その後に結局、高校を辞めたバスキアは
友達の家で寝泊りし、T-シャツやポストカードを自分で作り
それを売り歩き自身の生活費を稼ぎ始めていた。

1976年から1979年の間、二人の友人と一緒に
ニューヨークのストリートでグラフィティを描き始めた。

 
彼らのグラフィティは町中で有名になって
Village Voice(ヴィレッジ・ヴォイス)という雑誌に掲載されるまでの知名度を得た。

この記事のお陰で、バスキアはテレビやメディア関係の知り合いが出来
Vincent Gallo(ヴィンセント・ガロ)やAndy Warhol(アンディー・ウォーホル)などの
有名アーティストやディレクターと親交を深めていった。
バスキアとアンディー・ウォーホルは、よくアートプロジェクトでコラボレーションしたことで有名。

 
1981年には、ニューヨークのSoHo(ソーホー)というエリアにあった
Annina Soheiギャラリーにて、様々なコンテンポラリーアーティストと共に作品を展示して始めた。

 
彼のアートテクニックと作品のテーマは、グラフィティのルーツから進化し
自身の祖国のルーツとカルチャーをアートで表現し始めた。

そして、アメリカに住んでいるアングロ・サクソン達に
エスニックマイノリティの生活や問題について政治的なメッセージの入った作品をよく描いた。

ジャン=ミシェル・バスキアは
1988年に亡くなった。死因は、うつ病とヘロイン中毒が原因であった。

 
 

ジャン=ミシェル・バスキアのライフストーリーを描いた映画「Basquiat」(バスキア)

 
「Basquiat」という映画は、Julian Schnabel(ジュリアン・シュネイブル)という監督に作られた。
彼も、アーティストとして活躍していたこともあり、バスキアと同様にアート界の出身だ。

この映画には、様々な有名俳優が演出するが
中でも、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)の演技は一番存在感が強かったかもしれない。
彼は、バスキアの友人でもあるアンディー・ウォーホルのキャラクターを演じ
見た目や仕草は、とてもそっくりだったと評価された。

ジャン=ミシェル・バスキアの作品は、使用許可が下りなかった為に
映画には出てこないが、彼のライフストーリーは正確に語られている。
この作品を通して、その当時のニューヨークのアートカルチャーが
いかに、豊かだったのかを感じる事が出来る作品。

 

ジャン=ミシェル・バスキアの作品紹介