Contents
- ヒップホップの最重要イベント TOP10
- 1. 1973年の8月:DJクールハークのブロックパーティー
- 2. 1977年スクラッチというDJテクニックの発明
- 3. 1979年:最初のヒップホップレコード
- 4. 1986年:ヒップホップの初めてのグラミー賞のノミネート
- 5. 1988年:最初のヒップホップ雑誌の出版 Source Magazine
- 6. 1988年:Yo!MTV Rapsは初めて放送される
- 7. 1990年:Will Smith(ウィルスミス)はFresh Princeになる
- 8. 1991年:楽曲のサンプリングは禁止された
- 9. 1997年:ノトーリアス・B.I.G.の殺人事件
- 10. 2007年:グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ は、Rock and Roll Hall of Fameに入る
ヒップホップの最重要イベント TOP10
ヒップホップというカルチャーと音楽のジャンルは、他の音楽のジャンル比べても比較的新しい。ニューヨークで生まれてから、現在までわずか40年しか経過していない。今回の記事は、ヒップホップの歴史上の中で最もなイベント・出来事を紹介。
1. 1973年の8月:DJクールハークのブロックパーティー
1973年8月13日はヒップホップの誕生日だと言われている。DJクールハークは、妹の誕生日のために、ブロンクスのアパートでパーティーをオーガナイズした。
彼は、DJをして、近所の人たちをパーティーに誘った。これが初めてのブロックパーティーになった。
DJクールハーク自分のレアなレコードコレクションを使い、パーカッションやブレイクビーツのパーツだけを流して客を踊らせた。
こうしてヒップホップ系DJカルチャーが生まれた。
2. 1977年スクラッチというDJテクニックの発明
ヒップホップの歴史家によると、スクラッチというDJテクニックは1977年にグランド・ウィザード・セオドールという人物によって発明された。彼は自宅でDJ練習していて、母親にうるさいと注意された。そのまま母親の文句を聞きながら、レコードを適当に動かした。グランド・ウィザード・セオドールは、この音が気に入り、そこからDJのライブで使い始めた。
こうして、ヒップホップDJのユニークなスクラッチカルチャーが生まれた。
3. 1979年:最初のヒップホップレコード
1979年まで、ヒップホップという音楽ジャンルは非常にアンダーグランドなサブカルチャーであった。
ヒップホップのブロックパーティーや、ヒップホップ系ミックステープはローカルの人々には親しまれたが、まだメインストリームカルチャーに入ることはなかった。
しかし、1979年に、シュガー・ヒル・ギャングというグループが、メインストリーム界に向けて最初のヒップホップレコードをリリースした。
ラッパーズ・ディライトという曲は、当時人気にあったディスコトラックをサンプルして、大ヒットになった作品。
このレコードによって、ヒップホップは、メインストリームメディアと音楽ファンに認められた。
4. 1986年:ヒップホップの初めてのグラミー賞のノミネート
当時の音楽ファンはヒップホップレコードを買ってはいたが、グラミー賞などのメインストリームの音楽イベントなどは一切気にとめていなかった。
1986年に、Run DMCは始めてグラミー賞にノミネートされた。
残念ながら受賞はしなかったものの、この賞にノミネートされた事によって、ヒップホップの人気のバロメーターを確認する事が出来た。
3年後、ジャジー・ジェフとフレッシュ・プリンスは、見事グラミー賞を受賞した。
5. 1988年:最初のヒップホップ雑誌の出版 Source Magazine
1988年には、最初のヒップホップ系雑誌が出版された。Source Magazineは、初めはニュースレッターであったが、ちゃんとした雑誌になった。ヒップホップカルチャーのルーツや、ゴシップや、ニュースを出版した雑誌。当時に、一つのヒップホップ雑誌しかなかったため、ヒップホップのバイブルと呼ばれた。
6. 1988年:Yo!MTV Rapsは初めて放送される
Yo!MTV Rapsというヒップホップ専門番組は1988年に放送された。
Fab Five FreddyとDr DreとEd Loverが司会者。
ヒップホップ音楽は、アメリカ人だけではなく、世界中の人々でも楽しめるようになった。
7. 1990年:Will Smith(ウィルスミス)はFresh Princeになる
今までには、ヒップホップは、なにかゲットーなイメージがあった。しかし、1990年には、Fresh Prince Of BelーAirというテレビドラマ・コメディが初めて放送された。元ラッパーのWill Smithは主人公で、彼が出演することによって、人々にヒップホップのポジティブなイメージを印象付けた。
Fresh Princeの音楽活動引退後も、Will Smithはラッパーとして俳優として成功を収めた。
8. 1991年:楽曲のサンプリングは禁止された
1991年に、Biz Markie(ビズ・マーキー)は他人の曲のサンプルを使用したためにGilbert O’Sullivanという作曲家に訴えられた。当時のヒップホップトラックメイカーは自由にサンプルを使っていたが、裁判の結果から、作曲家やアーティストに使用の許可をもらう必要が出てきた。
このルールは、ヒップホップの音楽を、さらにクリエイティブにさせた。
9. 1997年:ノトーリアス・B.I.G.の殺人事件
1997年3月8日には、Notorious BIG(ノトーリアス・B.I.G.)というニューヨークのラッパーは、ロサンゼルスでヒップホップ雑誌のイベントに参加した。
パーティー会場を去る際に銃よってで乱射された命を落とした。彼の死は、イーストコースト対ウェストコーストのトラブルの原因でもありピークでもあった。
10. 2007年:グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ は、Rock and Roll Hall of Fameに入る
Rock and Roll Hall of Fameという音楽博物館は1983年に開館されたが、当時は、ヒップホップアーティストは、音楽アーティストとして無視された状態であった。
しかし、2007年に、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ は、Rock and Roll Hall of Fame音楽博物館に認められた。
※ 2008年:オバマ大統領のヒップホップムーブ
トップ10のヒップホップ歴史の出来事を紹介してきましたが、今回は、アメリカのオバマ大統領とヒップホップに関係について一つを紹介。
2008年に、バラク・オバマは、選挙キャンペーンを行っていた。ヒラリー・クリントンと話し合いしながら、彼女の難しい質問に対して、肩を払うような動きをした。
この肩を払うような動きは、ラッパーのJayーZのパフォーマンスの真似をしていた (’Dirt Off Your Shoulder’)。アメリカで最初の黒人大統領はヒップホップファンだという事を、アメリカ市民にアピールした。
ヒップホップは、アンダーグラウンドカルチャーとして始まったが、今や言葉の壁や人種の壁を越えて世界中で愛されるメインストリームカルチャーとなった。
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