カルチャー

ヒップホップのブロックパーティーのルーツ:ヒップホップの歴史紹介

Dj Kool Herc

ヒップホップの歴史:ファースト・ブロック・パーティー


ヒップホップというカルチャーや音楽のジャンルは1973年8月13日に生まれたと言われている。

ある日、洋服の小遣いを得るために、Cindy Campbell (シンディー・キャンベル)という女の子はホームパーティーをオーガナイズした。
自分のブロンクスにあるマンションのイベントホールを借りて、飲み物とスナックを安く仕入れて友達や知り合いにチケットを売った。

音楽担当は、彼女の16歳の兄に任せた。この兄は、背が高く体も大きくHercules(ヘラクレス)というニックネームがあった。
彼は珍しいレコードを沢山コレクションしていてDJという地位を常に狙っていた。


Dj Kool HercDj Kool Herc


ブロックパーティーのルーツ


二人は、DJ Kool Herc Partyと書いたフライヤーを配った。
DJ Kool Herc(クール・ハーク)は、自分の好きなレアなレコードをかけて、隣の「Coke La Rock」という友達の名前を同時に叫んだ。
好きな曲を全て流さずに、パーカッションの部分やインストロメンタルのパーツだけをミックスしていった客は盛り上がり踊りまくった。この瞬間にヒップホップのDJingというパートが生まれた。

次の日、ブロンクスの若者は全員このパーティーについて話していた。DJ Kool Hercの存在が広がり始め、そして伝説になった。

Dj Kool HercDj Kool Herc


1974年まで、クール・ハークはブロンクスの人気ナンバーワンDJになっていた。

ブロックパーティーや、クラブイベントなどでDJセットをプレーし実験として、二つのターンテーブルを使い、同じレコード2枚をミックスし、そのレコードのブレークビート部分を繰り返し流していた。

彼は、その瞬間にダンサーが盛り上がった事を気づいた。このスタイルこそが、DJ クール・ハークの特徴になった。

クール・ハークのブレイクビーツループというコンセプトから、サンプリングなどのテクニックが生まれ、数々のHIPHOPの名曲が生まれた。

同時に、ヒップホップのもう二つの部分(B-boyingとGraffiti)も発展していった。

MCing (rapping)という部分は後に発展していったが、その要素はDJ Kool HercのDJテクニックに基づいたスタイル。
DJ Kool Herc(クール・ハーク)はヒップホップのパイオニアであったが、有名になって金持ちになる事はなかった。
プロモーターではないし、プロデューサーではない為、ヒップホップを使って資金を稼ぐ事はできなかった。

しかし、現在でもDJとしては活躍し続けていて、ヒップホップのレジェンドとしてリスペクトされている。


2007年に、DJ Kool Hercの元住所(1520 Sedgwick Ave, Bronx)はヒップホップの生地として認められた。


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