今日のイギリスの音楽カルチャーを作った海賊放送の歴史

今日のイギリスの音楽カルチャーを作った海賊放送の歴史


イギリスで行なわれた海賊放送


海賊放送(英語:Pirate Radio)とは、放送免許を持たずにラジオ番組を放送する事である。
ラジオの海賊放送は、20世紀の前半にアメリカで始まったが、現在では世界中で海賊放送局が活躍している。

海賊放送局は、完全な独立型で政府や会社などのスポンサーに頼らずに放送する為、番組と音楽は全て自由である。
このパワーを使って、海賊放送局が政治や音楽に影響を与える事が出来てきた。
さらにローカルな人々の意見やテイストを映し出してきた。


 

Pirate Radio
Pirate Radio






イギリスの海賊放送 - 1960年代


法律上のグレーゾーンを使い、北海から放送する為には放送免許が必要ではなかった。
イギリスの最初の海賊放送局はRadio Carolineであった。

この局は1964年から放送し始め、トップ40のポップ音楽を放送した。
1969年までに21局があり、聴取者が10,000,000人以上を超えた。

当時、免許持ちの局の中で、BBCが一番人気あったが、海賊放送局はどんどんBBCの独占状態を壊すようになった。

その後、BBCラジオが改定されて、BBC Radio 1、Radio 2、Radio 3とRadio 4という局に分かれた。
それぞれの局が違う音楽のジャンルを専門化し始めた。

1967年には、放送の法律が改正されて、船から放送する局がなくなり始めた。




1970年代~1980年代


放送の法改正の後、海賊放送は、海から都会へ移動した。
安い手作りの基盤設備を使って、段々と普通の人でもラジオ放送できるようになってきた。

こういった海賊放送局は、一般的に短波や中波ラジオで、送信機は、二本の木の間に立て掛かれていた。
1980年代までに、200ポンド(3万円くらい)で安いラジオ送信機が買えるようになってからは、新しい海賊放送局が激増した。

海賊放送局は、メインストリームラジオ局に無視された聴取者をターゲットにして
アンダーグラウンドな音楽やブラックミュージックを専門としていて

レゲエ、ヒップホップ、R&B、ジャズは特によくプレイされていた。
都会に住んでいるエスニックマイノリティーの人向けの局も益々増えてきた。




1990年代



1990年代に入り、イギリスの政府は海賊放送に対してもっと厳しくなった。沢山の海賊放送局が潰れた。

しかし、当時のレイヴシーンはメインストリームメディアに無視されていたから、1992年までに
海賊放送はもう一度、盛り上がりを見せた。

海賊放送局は、レイヴイベントを宣伝したり
DJやレコード屋からお金をもらったりして、この収入で放送を続ける事が可能になった。

のちに、1990年代に入ってからロンドンの沢山の海賊放送局が放送免許を申請し、コマーシャル局になっていった。




イギリスの現在のラジオカルチャー


現在、150局くらいが活躍している。こういう海賊放送局は大抵全てロンドンにある。
免許なしの放送はまだ不法律で、放送者が逮捕されたら、大きい罰金がある。

ロンドンの若者の中では、25%くらいの人が海賊放送局をよく聞くと言われている。

海賊ラジオは、ローカルのアンダーグラウンドアーティストやDJをプロモートして
新しいアーバンのミュージックジャンルを紹介する事もある。

イギリスで生まれたグライム(Grime)というジャンルは東ロンドンの海賊放送局がルーツがある。
海賊放送のおかげで、この新しいジャンルが広がり、徐々に人気を得てメインストリーム認知も得た。
グライムアーティストのディジー・ラスカル(Dizzee Rascal)は元々海賊放送カルチャーから登場した。




海賊放送局の未来


海賊放送は、イギリスのアンダーグラウンドミュージックシーンにとって
とても重要なメディアであるが、インターネットの使用が増えると共に、海賊放送の影響力が続く事が出来るのだろうか。
今後についての動向も注目していきたい。





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