消えゆくコミュニティーミューラル・北アイルランドのベルファスト市

消えゆくコミュニティーミューラル・北アイルランドのベルファスト市


 

消えゆくコミュニティーミューラル・北アイルランドのベルファスト市

 

北アイルランドという国は、現代史がとても複雑な背景がある。
1960年代の後半から、1990年代の後半までに、この国は大変な混乱期経てきた。
この時期は、英語でThe Troubles(北アイルランド問題)と呼ばれているが、実情は内戦とも言える出来事だった。

この内戦のルーツは深い歴史がある。
17世紀の初めに、アイルランドはイギリスの植民地になり
イングランド人とスコットランド人の入植者は、北部の土地を奪いそのエリアに住み着いた。

その頃から、ネイティブのアイルランド人(主にカトリック教)と
入植者のイングランド人やスコットランド人(主にプロテスタント教)の間には民族紛争が続いている。
アイルランド共和国は1921年に独立国として誕生した。

 

 

 

The Troubles mural
The Troubles mural


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしその後、アイルランド島の北部(アルスター地方)のエリアは
まだイギリス連邦王国に入っていて、北アイルランドと呼ばれ始めた。
北アイルランドには、まだ、カトリックとプロテスタントの人々が住んでいるが
それぞれのコミュニティーは殆ど別々のエリアで住み生活している。
また、コミュニティー間の結婚はタブーとなっていて、子供が通う学校は初めから分かれている。

1960年代の後半には、両側の民兵組織の活動が活発になり暴力と逆襲も増加の一途を辿っていった。
この時期は、1998年のGood Friday Agreement(ベルファスト合意)を境にほぼ収束していった。

 

 

The Troubles mural
The Troubles mural


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この30年間の紛争時期に、それぞれのコミュニティーは自分達のエリアに沢山のミューラルを描いた。
ミューラルのテーマは、ローカルの政治的な意見やそのエリアのヒーロー
アイルランド神話のキャラクターでアイルランドの歴史を表現している。
アイルランドはケルトの国という事もあり、ケルト系のデザインに影響されたミューラルも多い。

 

 

1960年代の後半依頼、2,000作品以上のミューラルが描かれている。
しかし、ベルファスト合意以降、アグレッシブで政治的な民兵組織を表現するミューラルの数は減っている。
その変わりに、国の有名なアスリートや、国民に尊敬されている人物のミューラルが増えていっている。

 

 

 

The Troubles(北アイルランド問題)の期間中に、ベルファストのミューラルは
多くの人々に闘争のシンボルと思われていたが現在ではフォークアートとして認められている。

 

2007年にベルファストのミューラルアーティストはアメリカのワシントンで開かれている
Smithsonian Folk Life Festivalに招かれてWashington Mallで北アイルランド系ミューラルを描いた。

 

 

 

 





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